JR徳島駅の東側にある線路沿いの道を久しぶりに歩いた。近くに専門学校があるので、駅に向かっている数人の学生たちとすれ違ったが、風向きがこちらに向いているためか離れているにもかかわらずそれぞれの化粧の香りが微かに違うのに気づいた。歩道と反対側…
民主党が政権をとる前の話。高校の同級生Sの選挙活動は主に政党を離れた支持者がかなりいた。コピーを考えたりTシャツのデザインを考えたりするのが、素人ながら私の役目でもあった。 当時を思い浮かべながらスクラップブックを整理をしていたが、現政権にも…
珍しい本が出てきた。昭和36年発行と書かれているから高校時代に買ったものだろう。調べてみると、石原裕次郎主演で映画にもなった原作本(石坂洋次郎著)だ。芦川いずみ、笹森礼子、吉永小百合、小沢昭一、吉行和子...がキャストになっていた。その時代の青…
徳島駅の北側を歩く。 そう言えばここには、JRになる前の国鉄時代に転車台があった。 機関車がたくさん見れた。小学生の頃、何度かやってきた思い出がある場所だ。
新コロナウイルスのせいで日本国内では二度目のオリンピックが延期になったが、過去に、私には忘れられないマラソン選手がいる。1964年の東京オリンピックのメダリスト円谷幸吉さんは次のメキシコオリンピック出場を前に27歳で自ら命を絶った。その姿は生真…
たぶん60年代のレコードだろう。ペペハラミジョ•ピアノラテンリズムと書かれているレコード。国際情報社発行とあったので、レコード店で買ったものではないようだが、中のレコードを取り出してみるとビックリ、真っ赤なレコード盤であった。懐かしい時代がよ…
眉山のふもとにある母方先祖の墓地へ行く途中、すぐ近くの八幡神社に立寄った。 随臣門という門は江戸時代の建立らしい。 徳島市の文化財に指定されていることは知らなかった。 周辺は静かな住宅地であるが、昔の家は消え今風の建物が並んでいるため、 風情…
日本のこわい話 1974年発行の本ですが、置いておけば役に立つものです。孫がなかなか寝ないので、こわい話をすると蒲団の中にもぐり込んで話を聞きます。しばらくすれば寝るようです。小さな子供に「おばけと幽霊どちらが恐い」とたずねると、たいてい「お化…
切り抜き 書道を趣味としていた父親が新聞を切り抜き、アルバムに貼付けたものです。私もずっと学生時代から同じようなことをしていましたが、時が経過するとその時代の生活がわかり、懐かしさとともに若返ったりする。 現在ならデジカメで写しパソコンに移…
冷蔵庫を開けての「つまみ食い」。本棚から選んで衝動的に読む「つまみ読み」。朝4時5分から始まるNHKラジオ深夜便の「明日へのことば」を聴く「つまみ聴き」。私が高校生の時からずっとしてきた勉強法はみんなそうであった。 今朝は詩人の中原中也のNHKテキ…
家の整理をすれば次から次へと古い本やグッズが出現する。現在の漫画やアニメーションと違ってその頃の作品は子供達を素直に引きつける力があった。 いま、アニメ市場は急速に拡大しているがそれと共に余分な考え方が生じはじめている。政府の働き方改革とい…
鳴門市には増田友也氏(京都大学名誉教授.故人)が設計した建築物がたくさんあるが、その一つ鳴門市文化会館の耐震化工事が予定されているらしい。そのため一時的に徳島県内では大ホールが使えなくなるとの記事が今朝の徳島新聞に出ていた。 この記事で疑問…
わがまち、徳島市はこのところ揺れている。駅前にある百貨店の来夏撤退、新しいホール計画の混乱。問題が出てくるたびに根本的なまちづくりの基本的考え方が甘いのではないだろうか。 10月、11月に神戸三宮を歩いたが、徳島市と違うところは商業施設が集中し…
前回の東京オリンピック当時(1964年)の国民の乗用車の保有台数と比べれば、現在は約27倍になっているようだ。 車が多くなればなるほど走りにくくなるのは当然のことですが、混雑解消のため直進、左折、右折などの専用レーンを設けて走りやすくしているのは…
蔦谷喜一さんの描いた「きいちのぬりえ」は、昭和20年~30年にかけ、日本で大流行し、現在まで愛され続けているらしい。どこかで見かけたはずのこの童女画、若い方は別にして、高齢になった方々の頭の片隅に必ず残っているなつかしい絵ですね。 東京都荒川区…
コインランドリーを初めて利用したが、どうするのか勝手がわからない。 店内の説明を読むと、洗濯物を入れてお金を投入し待つだけ。とにかく、指示どおり洗濯物を入れてお金を入れるとすぐ洗濯槽が回りだした。できあがった洗濯物は乾燥槽に移して乾かすので…
鳴門市中心部の北西にあたる位置に金光山(きんこうざん)という150mほどの山があり、その中腹に古い灯明台がある。 山道は四国霊場ミニ八十八ヶ所のお参りができるようになっており、ハイキングコースとしても利用できる。 途中、その灯明台を見ることがで…
娘が小学生の頃、売り出されたゲームウォッチが出てきた。 いずれも新品同様、電池を入れれば遊べそうだ。 ネットで検索したら発売が1982年頃だから、30数年前。 当時、流行した歌を調べると「待つわ」「セーラー服と機関銃」「北酒場」 「聖母たちのララバ…
鳴門市撫養町にある大道商店街。 多分、日本万国博覧会が大阪で開催された昭和40年代頃の写真です。 社会の仕組みが大きく変化しはじめた頃であり、スーパーマーケットが街の中心部に出来てから 人々の生活も急激に便利な方向へと進んで行った時代です。 そ…
看板の文字が大きい、異常である。とにかく目立てばよい。 文字が大きければ、それだけ顧客にとって便利であるというのが根本にあるのだろう。 アレックス•カー氏(東洋文化研究者)は『ニッポン景観論』の中で、色、大きさ、形 状、素材、数量、字体などを…
田舎の町を車で走っていたら、いままで見たことのない風景を見つけた。 とにかく、すごい数の室外機。 数百台という数に違いないが、意外と汚れていないのが不思議だ。 中古市場へ出発待ちなのだろうか。金属廃材を取り出すのだろうか。 修理可能な室外機と…
徳島県の西部地区にはたくさんのお堂が存在する。 お堂内部には仏像がありその種類もまちまちである。 地域の人々の交流の場としての役割をもった小さな集会所という感じですが、 住民の手で行う民間信仰の行事はこの地方独特の貴重な文化である。 現在は人…
10日程前から、住宅の取り壊しが始まったと思っていたらまたたくまにほとんど消えた。 住む人もなく手入れできない庭木が鬱蒼としていたので、正直さっぱりしたのですが、 4月になれば桜の花を楽しませてくれた老木も、ばっさりと命を奪われた。 こうして少…
このお店、なんとなく気になりはじめたのは最近ですが、子供時代によく通った駄菓子屋の現代版に近い。阿波市土成町にある御所温泉の敷地内に存在するのですが、かき氷、ソフトクリーム、タピオカドリンク、やきとり、からあげ、たこやき…とにかく、メニュー…
路上芸術なるものを以前から見つけている。 確か、看板の下に3人くらいが座れる壊れかけのベンチがあったが 撤去されて十数年は経過しているはずだ。 お年寄りの専用席と書かれていますが、よく考えてみますと立ち席なんですね。 徳島のお年寄りは阿波踊りで…
高速道路がなかった時代は、徳島から高知に行く場合には 大歩危峡沿いの国道32号線を通るしかなかった。 その頃は、車の性能も劣っていたため峠越えの登り坂などでは エンジンのオーバーヒートが不安でもあった。 夏場は冷房の設備などない車がほとんどであ…
カウンターを挟んでお酒の相手をしてくれる店。 大半はママが一人で営んでおり、常連客が最後に寄るというイメージが強く、 昔は「スタンド」という看板が見られたが、今では死語に近いのだろうか。 路地裏にひしめく店、やはり昭和の雰囲気が漂い何となく好…
板野町図書館前にある広場に急勾配の階段がある。 年齢の割には自信があったのですが、一気に上がるとやはり心臓を感じパクパク音がした。 それはともかく、何があるのだろうと期待しながら上がったものだから、ガクッとなるのは当然でした。 広場とはいえな…
小鳴門海峡には3つの渡し船が残っている。 そのひとつ、岡崎と土佐泊を結ぶ岡崎渡船が懐かしくなり、孫を連れて乗りにいったことがある。 所要時間わずか3分程で対岸に着くが、体の底にひびくエンジン音は何ともいえないくらい気持ちがよい。 自転車に乗った…
私が通っていた徳島県立城南高校には年代物のプールがあり、南側には旭日旗を取り付ければ似合うようなポ ールがあった。保存運動を起こさなければいけないという程ではなかったが、利用したことのある卒業生にと っては懐かしい施設である。 15年程前に、同…