2019-01-01から1年間の記事一覧

時代を感じるが

家の整理をすれば次から次へと古い本やグッズが出現する。現在の漫画やアニメーションと違ってその頃の作品は子供達を素直に引きつける力があった。 いま、アニメ市場は急速に拡大しているがそれと共に余分な考え方が生じはじめている。政府の働き方改革とい…

文化が衰退する?

鳴門市には増田友也氏(京都大学名誉教授.故人)が設計した建築物がたくさんあるが、その一つ鳴門市文化会館の耐震化工事が予定されているらしい。そのため一時的に徳島県内では大ホールが使えなくなるとの記事が今朝の徳島新聞に出ていた。 この記事で疑問…

町を楽しくする

わがまち、徳島市はこのところ揺れている。駅前にある百貨店の来夏撤退、新しいホール計画の混乱。問題が出てくるたびに根本的なまちづくりの基本的考え方が甘いのではないだろうか。 10月、11月に神戸三宮を歩いたが、徳島市と違うところは商業施設が集中し…

車社会はマナーを悪くする

前回の東京オリンピック当時(1964年)の国民の乗用車の保有台数と比べれば、現在は約27倍になっているようだ。 車が多くなればなるほど走りにくくなるのは当然のことですが、混雑解消のため直進、左折、右折などの専用レーンを設けて走りやすくしているのは…

どこかで見かけたはずの絵

蔦谷喜一さんの描いた「きいちのぬりえ」は、昭和20年~30年にかけ、日本で大流行し、現在まで愛され続けているらしい。どこかで見かけたはずのこの童女画、若い方は別にして、高齢になった方々の頭の片隅に必ず残っているなつかしい絵ですね。 東京都荒川区…

コインランドリーの初体験

コインランドリーを初めて利用したが、どうするのか勝手がわからない。 店内の説明を読むと、洗濯物を入れてお金を投入し待つだけ。とにかく、指示どおり洗濯物を入れてお金を入れるとすぐ洗濯槽が回りだした。できあがった洗濯物は乾燥槽に移して乾かすので…

金光山にある灯明台

鳴門市中心部の北西にあたる位置に金光山(きんこうざん)という150mほどの山があり、その中腹に古い灯明台がある。 山道は四国霊場ミニ八十八ヶ所のお参りができるようになっており、ハイキングコースとしても利用できる。 途中、その灯明台を見ることがで…

子供の遊び道具発見

娘が小学生の頃、売り出されたゲームウォッチが出てきた。 いずれも新品同様、電池を入れれば遊べそうだ。 ネットで検索したら発売が1982年頃だから、30数年前。 当時、流行した歌を調べると「待つわ」「セーラー服と機関銃」「北酒場」 「聖母たちのララバ…

懐かしむだけになってしまった

鳴門市撫養町にある大道商店街。 多分、日本万国博覧会が大阪で開催された昭和40年代頃の写真です。 社会の仕組みが大きく変化しはじめた頃であり、スーパーマーケットが街の中心部に出来てから 人々の生活も急激に便利な方向へと進んで行った時代です。 そ…

町をきれいにしましょう

看板の文字が大きい、異常である。とにかく目立てばよい。 文字が大きければ、それだけ顧客にとって便利であるというのが根本にあるのだろう。 アレックス•カー氏(東洋文化研究者)は『ニッポン景観論』の中で、色、大きさ、形 状、素材、数量、字体などを…

とにかく異様な風景です

田舎の町を車で走っていたら、いままで見たことのない風景を見つけた。 とにかく、すごい数の室外機。 数百台という数に違いないが、意外と汚れていないのが不思議だ。 中古市場へ出発待ちなのだろうか。金属廃材を取り出すのだろうか。 修理可能な室外機と…

地域の文化を感じるお堂

徳島県の西部地区にはたくさんのお堂が存在する。 お堂内部には仏像がありその種類もまちまちである。 地域の人々の交流の場としての役割をもった小さな集会所という感じですが、 住民の手で行う民間信仰の行事はこの地方独特の貴重な文化である。 現在は人…

消えた隣の古い家に昭和を思う

10日程前から、住宅の取り壊しが始まったと思っていたらまたたくまにほとんど消えた。 住む人もなく手入れできない庭木が鬱蒼としていたので、正直さっぱりしたのですが、 4月になれば桜の花を楽しませてくれた老木も、ばっさりと命を奪われた。 こうして少…

土成町にドリンクバー発見

このお店、なんとなく気になりはじめたのは最近ですが、子供時代によく通った駄菓子屋の現代版に近い。阿波市土成町にある御所温泉の敷地内に存在するのですが、かき氷、ソフトクリーム、タピオカドリンク、やきとり、からあげ、たこやき…とにかく、メニュー…

路上現代アート発見する

路上芸術なるものを以前から見つけている。 確か、看板の下に3人くらいが座れる壊れかけのベンチがあったが 撤去されて十数年は経過しているはずだ。 お年寄りの専用席と書かれていますが、よく考えてみますと立ち席なんですね。 徳島のお年寄りは阿波踊りで…

国道32号線を走るはめに

高速道路がなかった時代は、徳島から高知に行く場合には 大歩危峡沿いの国道32号線を通るしかなかった。 その頃は、車の性能も劣っていたため峠越えの登り坂などでは エンジンのオーバーヒートが不安でもあった。 夏場は冷房の設備などない車がほとんどであ…

スタンドという看板

カウンターを挟んでお酒の相手をしてくれる店。 大半はママが一人で営んでおり、常連客が最後に寄るというイメージが強く、 昔は「スタンド」という看板が見られたが、今では死語に近いのだろうか。 路地裏にひしめく店、やはり昭和の雰囲気が漂い何となく好…

期待して上がってはみたが

板野町図書館前にある広場に急勾配の階段がある。 年齢の割には自信があったのですが、一気に上がるとやはり心臓を感じパクパク音がした。 それはともかく、何があるのだろうと期待しながら上がったものだから、ガクッとなるのは当然でした。 広場とはいえな…

久しぶりの渡し船

小鳴門海峡には3つの渡し船が残っている。 そのひとつ、岡崎と土佐泊を結ぶ岡崎渡船が懐かしくなり、孫を連れて乗りにいったことがある。 所要時間わずか3分程で対岸に着くが、体の底にひびくエンジン音は何ともいえないくらい気持ちがよい。 自転車に乗った…

城南高校の旧いプール

私が通っていた徳島県立城南高校には年代物のプールがあり、南側には旭日旗を取り付ければ似合うようなポ ールがあった。保存運動を起こさなければいけないという程ではなかったが、利用したことのある卒業生にと っては懐かしい施設である。 15年程前に、同…

8月の思い

八月になれば、世の中がある一面シナリオどおりに経過していくように思う。 そのことによってなんとなく憂鬱な気分になってしまう。 新聞も、テレビも、ラジオも、日本が戦争をしたことばかり書き立てる時期がやって来るからだ。 今朝もNHKの「ラジオ深夜便…

木津の金比羅神社

当時、男の子は外で遊ぶことが勉強でもあった。 家の裏山を一山越えたところに金比羅神社があり、山岡の雄ちゃんと山伝いにそこまで行くのが楽しかった。 元気な盛りだから、たぶん小学3、4年生くらいでしょう。目的地までの山の道はすべて把握しており、 細…

子供時代に戻る風景

道の両側に隙間なく古い家が建ち並ぶ光景はいまはほとんど見ることができない。 私が住んでいた頃の撫養街道は本当に様変わりしてしまった。 街道沿いにあった多くの商店や仕事場はほとんど消えて、駐車場を構えた一戸建ての家に変化、 ゴーストタウン同然の…

JR二軒屋駅の風景と私

JR二軒屋駅で乗り降りしたことはないが、ホームのシンメトリーな姿は好感がもてる。 近くには、私が昔通っていた城南高校があるが、 現在、この駅をどれぐらいの生徒たちが利用しているのだろうか。 駅の周辺を歩いてみたが当時の面影はほとんどなく、車の往…

昭和的路地を探し求めて

両側に家が建ち並ぶ狭い道は好きだ。 朝顔の鉢や盆栽が路地を占有し余計に道を狭くしていたが、水やりをしている姿を見たことはない。 遊ぶ子供たちがいなくても、日本的な本当にいい風景であった。 でも今は、並んでいた家も徐々になくなり、昭和的路地の面…

ブログを始めるにあたって。

昔から道草好きの私ですが、 ブログを開設致しました。 この歳だし、体も心も、もう成長することはないことが分かっているのですが 何かを始めることによって、心だけは再び成長が始まるかもしれない。 その思いでまずはスタートさせたが、なかなか投稿まで…